芹沢 一也
ホラーハウス社会―法を犯した「少年」と「異常者」たち
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人気ランキング : 11557位
定価 : ¥ 880
販売元 : 講談社
発売日 : 2006-01 |
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ごく初歩の医学知識をスルーしている問題のある本 |
精神医学と刑法学の両方を扱う学問を専門用語で「司法精神医学」といい、著者の研究はこの領域に入り込んでいる。日本では主に東京歯科医科大学くらいでしか教えられてこなかった極めてマイナーなジャンルだ。どうも著者は基本的な精神医学の素養に欠けているようだ。巻末には司法精神医学系の参考文献が多い(私も同じものをわりと読んでいる)けれども、「どうも著者は精神医学の視点をごっそりスルーしているな」と不安を感じた。ほころびを消している著述だ(うまく立ち入らないようにしている)。この著者は、いわゆる「幻覚妄想状態」についてすら実はよく分かっていないと確信するまで、多大な労力を要した(記述の逃げ方がずるがしこい)。歴史学のあり方としても、著述は直線的で、社会学それ自体の限界を露呈している。じゃあ、この本以外に一般の人にも分かりやすい司法精神医学系の良書があるかと言えば、残念ながらちょっと思いつかない(日本ではほったらかしのジャンルゆえ:また、あったしてもイデオロギッシュな視点の本が多い)。実態は著者の指摘とはもっと違うところにあると私は感じている。30年後には確実に忘れ去られている本だろう。新書では取り扱えない内容かもしれない。なにせナポレオン刑法典以来、200年に渡る“問題”なのだから。
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犯罪のエンターテイメント化 |
本書は、過去から現在までの少年と精神異常者の犯罪の処遇の歴史及び現代のホラーハウス社会について書かれています。
以前は、少年が犯罪を犯したら、教育という処置がおこなわれ、精神異常者が犯罪を犯したら、治療という理性を回復する処理が行われる。つまり、以前は犯罪を犯した少年や精神異常者を保護するような社会であった。
そもそも、罪を犯したものに罰を与えないのはおかしいのではないかという批判がでてきた。また、凶悪犯罪の被害者をないがしろにされてきたのは、かわいそうではないかということがでてきた。こういう批判は、少年や病者を法的主体としてみないで、社会の危険な敵だと感じるようになった。
本書の題名である、ホラーハウスとは、いつ何時か襲われるかどうかわからない恐怖に対して、心を1つに肩を寄せ合う快楽のことである。ニュースにでてくるような凶悪犯罪をも他人事としてみてしまう。被害者の立場、また加害者がなぜこんなことをしたのかに興味を持たずに、ホラーハウスとして消費してしまう。そのことこそ危険だといっている。
確かに、今の社会は犯罪がエンターテイメントしている感じはするから、「ホラーハウス社会」というネーミングは当たっている感じがする。
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新しい角度から導きだされる監視強化社会への警鐘 |
神戸の幼児殺害事件(俗にいう「酒鬼薔薇事件」)のころから既に、少年や精神障害者による殺人・凶悪事件は、正気を疑うほどの残虐レベルの事件を含め、統計上むしろ減少傾向にあると言うことが指摘されている。これは警察の出している犯罪白書にすら明示されていることである。
にもかかわらずここ数年、週刊誌のようなセンセーショナリズムを売りにした媒体はもとより、少なからぬ「専門家」「有識者」の口から「若者が(昔より)凶悪化している」「異常者が増えている」という言説が流れ、マスコミを通じて社会全体に広がっている。
この「事実」と「みんなの感覚」の落差はなぜ生まれるのか。
本書は「少年や精神障害者による殺人・凶悪事件が減少傾向にある」という点を統計的な数字のみならず具体的なケースを具体的に示している点で説得力がある。
また「ヒステリックな恐怖言説は治安維持法的監視社会を招来させる」という指摘は一部の論客から提出されているが、一般にこうした指摘は左翼的な人たちの自己保身ではという視線を受け、あまり受け入れられているとはいえない。
その点、本書の「人々は、いわば自分たち自身で増幅させた恐怖に一面で確かにおびえながら、実は・・・」という少し角度の違う見方には「なるほど」とうならされるものがあった。
自分たちの「感覚(恐怖、楽しさ取り混ぜ)」の暴走が将来的に何をもたらすのか、ということを考えさせる、一読に値する書だとおもった。
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保護する社会の終焉 |
少年法の改正、医療観察法の施行に到った今の社会。
それは社会の秩序を乱す些細な逸脱者の排除。
永遠にこちら側に留まれると信じて疑わない善意の人が、社会の役に立つべく警戒の目を光らせ、社会に分断線を引きつづけている。
少年法については明治20年から、精神障害者については大正時代から社会の変化を通して、法改正に到った歴史を紐解く。
是非とも多くの人に読んでもらいたいと思った。
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日本をホラーハウスにしてはならない |
「異常者」や「少年犯罪」に関する枠組みや要求されるセキュリティの水準が変化したことによって、過剰な治安管理システムが作られようとしている現状に対して、周到な分析に基づいて批判をした一冊。
もっとも誤解せずにおくべきなのは、著者が「治安を守るな」とか「犯罪者を放っておけ」といった主張をしているわけではない点にある。
凶悪犯罪が急増しているわけではない事実を確認して、不安によって想像力を欠落させた社会を生み出さないために落ち着いた論議がここでは展開されている。
犯罪増加や治安悪化の恐怖を恣意的に扇動するような言説がまかり通る中、歴史的な文脈を踏まえて沈静化を図ったコンパクトな良書である。